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福島県浜通り 津波被害のようす

5月帰省の折、最初に訪れたのは浜通りだった。
この時期に被災地に行くことには、批判的な意見もあるだろう。
けれどどうしても、いまの福島を見ておきたかった。

テレビで毎日のように被災地の映像を見ていたけれど、実際に行くと言葉が出ない。
津波と住宅地2
〈2011年5月5日 福島県南相馬市〉
いったい、何にレンズを向ければいいのかわからない。
前も後ろも、右も左も、見渡すかぎりの“被災地”だった。

津波と農地1
〈2011年5月5日 福島県相馬市〉
家があった場所には何も無くなり、何もなかったところには瓦礫とゴミ。

津波と堤防
〈2011年5月5日 福島県南相馬市〉
堤防のあちこちが切れて、海が見えていた。

津波と農地4
〈2011年5月5日 福島県南相馬市〉
その堤防の切れ端は田んぼの中にあった。

津波と農地5
〈2011年5月5日 福島県南相馬市〉
たくさんの消波ブロックも田んぼの中に。海から500mは離れている。

津波と農地3
〈2011年5月5日 福島県南相馬市〉
コンクリートの塊が流されるぐらいだから、船は当然のように流されている。

津波と農地2
〈2011年5月5日 福島県南相馬市〉
この船はまだ使えるだろうか。しかし海に戻すだけでもかなりのお金がかかる。
そして戻せたとしても、この海で漁ができる日がいつになるかはわからない。

津波と住宅地1
〈2011年5月5日 福島県南相馬市〉
跡形も無いほど破壊された家々のむこうに、原町火力発電所が見えた。
もとあった風景はどんなものだったのか。

津波と住宅地3
〈2011年5月5日 福島県南相馬市〉
かろうじて基礎だけが残った家々。そして黄色く枯れた竹林。
被災地では至る所で竹林が枯れている。塩害かとも思うのだが、なぜか内陸の郡山でも起きている。
一斉開花が起きた後なのだろうか。まさか放射能の影響ではないだろうが・・・・。

津波と鉄塔1
〈2011年5月5日 福島県南相馬市〉
巨大な鉄塔から送電線が垂れ下がり、地面に固定されていた。
通電はしていないのだろうが、恐怖感がある。

津波と鉄塔2
〈2011年5月5日 福島県南相馬市〉
津波の届いていない場所で、鉄塔の上部がぐにゃりと折れていた。

津波と鉄塔3
〈2011年5月5日 福島県南相馬市〉
ここでも。海沿いの鉄塔が津波で流され、それに引っ張られたのではないだろうか。

捜索後
〈2011年5月5日 福島県南相馬市〉
あちこちに瓦礫の小山が作られ、そこにブルーシート製の旗が立てられていた。
おそらく“捜索完了箇所"の印なのだろう。

被災地の仏様
〈2011年5月5日 福島県相馬市〉
捜索の際に掘り出されたのだろう、傷ついた大黒様が路肩に佇んでいた。
仏像などがこうして路上に置かれている様子はあちこちで見られた。


日本国内の出来事とも、自分の故郷の光景とも思えず、ふわふわと現実感が無くなることが何度もあった。
そのたびに、壊滅した町のあちこちに立ち籠める強い腐臭で現実に戻される。
すごい時代を生きているな、何故かそんなことが何度も頭に浮かんだ。
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00:26 | その他 | comments (3) | trackbacks (0) | edit | page top↑

郡山市 地震被害のようす

5/5~11および5/23~30の合計15日間、郡山の実家に帰っていた。

第一の目的は、震災後一度も会っていない家族の顔を見ること。
第二の目的は、地震で荒れた実家の家の中を片付けること。
ついでに故郷の様子を見ておきたかった。

震災から2ヶ月近く経っていたので、片付けも進み、家の中は普段とさほど変わらないように見えた。
最初に目についたのは天井の傷だった。
天井の傷
この場所には背の高い本棚があり、つっぱり棒で天井に固定されていた。傷はそのつっぱり棒がつけたもの。
激しく長い揺れだったことがよくわかる。最終的に本棚は倒れ、しばらく生活の障害になった。

地震の時、この部屋には妹と犬がいた。
妹は高さ1mぐらいの棚の上に置いた大きなコンポのすぐ下で横になっていた。
あまりの揺れの大きさに慌てて犬に駆け寄ったすぐ後、コンポが崩れ落ちたという。
少しタイミングが遅れていれば危なかった。
震災直後の居間
〈妹撮影 2011/3/12〉
写真を見ても自分の実家という感じがしない。右手にコンポ、奥に本棚が倒れているのはわかる。
家の中がこれだけ荒れたのに、妹が青アザをいくつか作っただけで済んだのは幸運だったと言うべきなのだろう。
よくぞ無事だった。

震災直後の台所
〈妹撮影 2011/3/12〉
流しに倒れこむ食器棚。生まれて初めてこの棚の背中を見た。
食器の大半が割れて散らばったため、裸足で歩けないし料理もできなかったという。


郡山の市街地を車で走ると、瓦屋根の家ではブルーシートが標準装備。
古い建物では立ち入れなくなったものも多くある。中でも派手に壊れたのがこのビル。
つぶれたビル1
〈2011/5/10〉
つぶれたビル2
〈2011/5/10〉
1階が完全に潰れている。犠牲者が出なくて幸いだった。
一見して古いビルだとわかる。周辺の道路は通行止めになっていた。

がけ崩れ
〈2011/5/10〉
実家最寄りのホームセンターの裏、住宅地の一画では法面が崩壊。直上の住民は避難したようだ。

星総合病院
〈2011/5/10〉
郡山駅近くの星総合病院では、渡り廊下らしき部分が崩落。壁にも亀裂が走り、病院機能の多くが停止した。
現在はプレハブ設置や改修によって、入院もできるようになった。

阿邪詞根神社
〈2011/5/10〉
病院のすぐ脇にある阿邪詞根(あさかね)神社。1058~1065年に建てられたという歴史あるものらしい。
建物はそれほど古くないようだけれど。かろうじて狛犬は台座から落ちずに済んだ。

退去とゴミ
〈2011/5/30〉
うちの実家は団地。そのうちの一棟で地震後に爆発音が発生、たくさんの緊急車両が押し寄せて騒然となったという。
どうやらその棟は十数センチ傾いたらしく、全世帯に避難勧告が出された。みんな慌てて出ていったのだろう、大量の粗大ごみが積み上がって道路まではみ出していた。2ヶ月以上経った5月末時点でまったく回収されていなかった。


余震が起きるたびに、家族が震度を正確に言い当てるのに驚いた。実家は団地の4階なので、実際の震度より1~2段階ほど大きく揺れるようだ。3月11日の郡山市の震度は6弱。ということは、単純に考えるとこの部屋では6強~7だった可能性がある。震災から3ヶ月経ったのに、未だに震度1以上の余震が日に10回程度あるという。実際、私の滞在中だった5/25にも福島県内では震度5弱の地震があった。とりあえず地震だけでも、このまま収束に向かってほしいものだ。
19:54 | その他 | comments (2) | trackbacks (0) | edit | page top↑
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